flute
LYNX
02. 交響曲第25番 ト短調 第1楽章 K.183
03. モルダウ~連作交響詩「わが祖国」より
04. 歌劇「タンホイザー」序曲
Music Director : Paul Meisen
Arrangement by Jiro Takashita. Except track 7 and 9 by Masanobu Shinoda,
track 3 and 7 Co-arrangement by LYNX.
Recorded by Seigen Ono at Chichibu Myuzu Park Ongakudo. September 2006
Liner Note : Junnichi Konuma
Liner Note 2 : Paul Meisen
Creative Director : Kunihiro Goto (Drive Direction)
Art direction and design : Kumi Imai (APIS LABORATORY INC.)
Design : Chiharu Hashizume (APIS LABORATORY INC.)
Photography : Katsuro Ueda
Hair and Makeup : Yukiko Shigeyama (biswa)
Special thanks to Paul and Sachiko Meisen, Jiro Takashita, Masanobu Shinoda, Junnichi Konuma, Sound Creators Inc. Masaharu Suzuki and Chichibu Myuzu Park Ongakudo, Takashi Nagashima and Masazumi "ZUCKY" Suzuki (UP-FRONT PLANNING), Masaki Funakoshi and INFORMATION DEVELOPMENT CO.,LTD., Kazuko Igarashi, Onward Kashiyama Co.,Ltd., T.KUROSAWA & CO.,LTD., Global, Inc. and Astuko Ishikawa (SAIDERA PARADISO LTD.)
LYNX thanks to all our families and fans.
小池智子 TOMOKO KOIKE (Brannen Cooper 14K Gold and Lafin (head)
郡律子 RITSUKO KORI (Muramatsu AD, Piccolo : Brannen Brothers)
佐藤麻美 MAMI SATO (Powell 14K Gold & Silver Mechanism. Alto : Altus AF925SE)
松崎麻衣子 MAIKO MATSUZAKI (Muramatsu AD (heavy), Bass: Kotato and Fukushima
4人のフルート奏者によって演奏される音楽の意味。
小沼純一(音楽批評/早稲田大学教授)
瓶に息を吹きこむと、ぼー、っと音がします。フルートは基本的にこの瓶とおなじ原理で発音されるのですから、或る意味、とてもシンプルな楽器といえるでしょう。でも、大小のフルートを4本揃えるだけで、何十人ものオーケストラに匹敵する、いや、それとはまた違った感触を生みだす事実に、このアルバムは、気づかせてくれます。
LYNX、最近ではコンピュータ用語として了解されてしまうことも多い言葉ですが、ここでは「大山猫」の意味でしょう。4人の女性フルーティストがアンサンブルを組んで、1匹の「大山猫」。野生と優美、敏捷がないまぜになったイメージをもつLYNXのアルバムは、これで通算10枚目となります。
とりあげられているのは、いわゆる「クラシック」の名曲、それもオーケストラのために作曲されたものが中心一例外はオルガンのための《トッカータとフーガ》だけーです。誰でもどこかで耳にしたことがあるメロディが、ひびきが、ここにあります。特にじっくり耳をかたむけよう、聴きこもうと思わなくても、ただ部屋でながしているだけでも、記憶のどこかにあるものが呼び覚まされてくる。そういう曲ばかりです。でも、そこにはオリジナルの持っていた重厚さ、物々しさがないのです。もっと軽々とし、スムーズ、リリックです。それでいながら、しっかりと構築されたオリジナル曲の骨組み、ストラクチャーとでもいうべきものが、はっきりとわかる。これがたった4人のフルート奏者によって演奏されている「意味」です。
もう少し言葉を加えてみましょう。
大きな編成のオーケストラの「作品」をたった4人のフルーティストが演奏しなくてはならないからこそ、骨格やエッセンスをしっかり見極めなくてはなりません。余分なものはそぎ落とされ、スリムになります。ピッコロからバス・フルートまで、音域の異なった4本の楽器を使っていますが、オーケストラの広い音域とはかならずしも一致しません。全体として高い音域が中心となっています。そして、フルートとはひとが息を吹きこんで演奏する楽器であること。だからこそひびきは軽やかで柔らかく、スレンダーに、聴くひとの息のながさに音楽もそれに沿ったものとなります。
4人の音楽家が、ながいこと親しくし、文字どおり「息」があい、互いの息が感じとれ、音楽をつくりだすその場の「空気」がわかっている。そのうえで「一緒に演奏」ーアンサンブルの意味ですねーしている。各人は違った当然違った人格を持っているし、生活は違っていても、ひとつの音楽をつくっていくときには、きゅ、っ、とあたかも一体化したかのように、あるいは、それぞれの細胞が生きていながら、ひとつの心身をつくっているように、「音楽」をつくってゆく。しかもそのテクニックはとても安定しているのです。きっと気づかれるでしょう。低音でひびく、オーケストラだったらチェロやコントラバスがはじくビッツィカートのようなちょっとつよく、それでいて短いアクセントのある音。細かな音符の受け渡しからみあうポリフォニー。ときに迫ってくるようなダイナミズム。こうした場面場面の「ドラマ」を。
収録されている曲は、おなじ「クラシック」に括られる音楽のなかでも、16-17世紀ドイツのバッハから19世紀チェコのスメタナ、ドヴォルザーク、ロシアのチャイコフスキーを経て、20世紀のラヴェルまでと、時代的にも地理的にも広い範囲にわたります。以下、簡単に紹介しますが、音楽そのものをとおして、21世紀の現在から作曲家たちの生きた時代と場所を想像してみるのも楽しいはずです。
アルバム冒頭を飾り、また、最後を締めくくるのはヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)、つまりモーツァルト、ベートーヴェンから遡っての「クラシック」の源流ともいえる音楽家です。最初におかれているのは7つの曲からなる、フルート・ソロと弦楽合奏を中心とする《管弦楽組曲第2番》-この組曲は全部で4曲あり、それぞれ編成が異なりますー。技巧的なソロとアンサンブルがコントラストをつくり、また、サラバンドやブーン、ポロネーズ、メヌエットといった舞曲が、バロック時代の、言ってみれば「クラブ」的な空気を醸しだします。
バッハにつづいて登場するのはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756-91)。ここでLYNXが演奏しているのは、《40番》とならぶ、モーツァルト、全41曲の交響曲のなかで2曲のみに短調の作品である《25番》の第1楽章。わざとらしさのない、それでいて短調のひびきが聴き手に何を残してゆくでしょう。
ここからプログラムは19世紀、それも半ば過ぎへと移ります。
ベドルジハ・スメタナ(1824-84)は、他の国や文化の真似ではなく、チェコに固有の音楽を生みだした最初の作曲家といわれます。《モルダウ》は、チェコを流れる川で、その国の人たちは「ヴルタヴァ」と呼びます。 1874年から79年にかけて作曲された連作交響詩《わが祖国》の第2曲にあたり、小さな水の流れが徐々に大きくなってプラハへと至る川のながれを表しています。冒頭、4本のフルートのからみあい、光がきらめくような「水源」の姿、ぞくぞくしませんか?
この19世紀半ばから後半という時代、音楽のみならず、演劇や文学まで含め、ヨーロッパ全土で大きな影響を持ったリヒャルト・ワーグナー(1813-83)は大きなオペラを幾つも作曲していますが、《タンホイザー》は1845年に完成した、中世の吟遊詩人を題材にした作品です。《序曲》はその荘厳さを提示するだけの 力を備えた音楽といえるでしょう。
《白鳥の湖》《眠りの森の美女》といったバレエ音楽でも親しまれ、19世紀ロシアを代表するピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-93)。ここでは最晩年、まさに亡くなる少し前に自らの指揮で初演された最後の交響曲《悲愴》から、しかし、タイトルとはいささか趣きの異なる、フルートの運動性が生きる快活さと行進曲風な曲調が混じり合った楽章が演奏されています。
アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)も、先のスメタナを継ぐチェコの作曲家です。《交響曲第9番「新世界より」は1893年、ドヴォルザークがアメリカ滞在中一その意味で「新世界より」ですーに作曲したものですが、第2楽章は、「家路」として親しまれているメロディのある、特に有名な部分です。持続する幾つかの和音の後で現れる「家路」に、小学校の頃の記憶が甦ることもありそうです。
おなじ19世紀でも、初期の頃に作曲された作品がここに1曲はいります。<運命>です。数十年前とは 随分扱いは違ってきましたが、ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が「クラシック」の代表格であることは変わりません。それもきわめつけの《交響曲第5番》第1楽章の<運命>なる副題は本人のつけたものではありませんし、しかも弦楽器のユニゾンとフルートのアンサンブルとは大きく違うので、かならずしも「おなじ」曲のようにはひびかないかもしれませんが、逆に仰々しさのない分、ベートーヴェンへの親しみも抱けるかのようです。
さて、一気に20世紀に跳躍です。19世紀末から20世紀、フランスの、というよりもヨーロッパの文化的中心であったパリで活躍したモーリス・ラヴェル (1875-1937)が1928年に作曲した《ボレロ》。スペインの舞曲にあるリズムを用いながら、メロディの基本はたった2種類。オーケストラではさまざまな楽器が交代でこのメロディを演奏しますが、フルート4本でも、そのみごとなアレンジにより、一種のラヴェルの「狂気」が現出します。
アルバムの最後は、先にも記したように、ふたたびバッハが戻ってきます。パイプオルガンのために作曲され、冒頭のひびきがあまりにも有名な、《トッカータとフーガ ニ短調》。オルガンは多くの管の集まりですから、その意味では、フルートアンサンブルと「おなじ」です。鍵盤上を指がめまぐるしく動く「トッカータ」ー「トッカータ」は「触れる/タッチ」という意味ですーと、1つや2つのメロディを次のパートが追っていく「フーガ」の二つの部分からできており、ドラマティックに締めくくられます。アルバムの終わりとしても相応しいといえるでしょう。
作曲家に内包された本質を捉える、情熱と様式感。
パウル・マイゼン (元ミュンヘン国立音楽大学教授、東京芸術大学客員教授)
「クラシック音楽にフレッシュな風を」と小泉純一郎前首相が、LYNXのデビューCDによせて推薦文を書かれたのは、本当に先見の明があったのですね。今、LYNXはきらめく音色の海の中をそよ風どころか、力強い順風に満帆を張って異なるエポックの中を正しい航路を取り、それぞれの作曲家に内包された本質を捉えます。モーツァルトの機知あふれる炎のような知性、ベートーヴェンの運命を秘めた情熱、ワーグナーのトロンボーンコーラス、チャイコフスキーの革命的な行進曲のリズム、スメタナの民族調の情景、ドヴォルザークの深い慕情、ラヴェルのオーケストラ楽器編成、全ての作曲家にそのハイライトが出ています。本アルバムで特筆すべきはJ.S.バッハの演奏解釈でしょう。「管弦楽組曲」が最初に、そして「トッカータとフーガ」はアルバム最後を飾っています。LYNXはバッハの演奏では、すでにヨーロッパの専門家をうならせているのです。今日のドイツでも、その演奏解釈について音楽学者が直接影響を及ぼすようになってから、バッハを情感的に演奏するか、音楽的史実研究に沿った演奏をするのかを選択するディレンマに陥っていることは知られているでしょう。「良い演奏」をする、もしくは「正しい演奏」をする、そのどちらか になる、という困惑した話になっています。LYNXは2006年にミュンヘン近郊のキルヒハイムにあるフッガー城の有名な「杉の間ホール」(Zedernsaal)でバッハを演奏しました。このコンサートを聴いた権威あるバロック音楽専門学者ロルフ・バステン氏(Rolf Basten氏)は感動し、「今日は第三の方法があるのを聴かせてもらいました。これは“良くて“正しい”演奏である!」と述べたのです。その通りなのです!彼女たちの情熱と様式感の確かさはセンセーションと言えるほどの合体です。「管弦楽組曲」を聴く人は、「この曲をこんなに明確に、しかも透明に聴いたことがあっただろうか?」と思わず自分自身に問いかけてしまうでしょう。その明確さゆえ、フルート4本で演奏することが実際に正当化されるわけです。さらに、LYNXの類まれな素晴らしくノリの良い楽しい演奏!同じことが「トッカータとフーガ」にも当てはまります。フルートと同種であるオルガンのために書かれたこの偉大な作品が、LYNXに翼を与え、全ての拘束から解き放たれて羽ばたくかのような彼女達の息の合った演奏と音楽性はただ感嘆するばかりの次元に達しています!そしてこのアルバムは、聴いている人にこれが録音であることをすら忘れさせ、聴き始めると目の前に奥行きのある広い空間が現れ、極く自然にコンサート会場に座ってライブで音楽に浸っている気分になるのです。
Paul Meisen