U Turn
Arto Lindsay&Hideo Yamaki

SDSD-1051
e-onkyo    mora

TRACK LIST:

01. Don’t smile / Pode Sorrir
02. Very Dark Photo / Talk to Me
03. Saturate / Maneiras
04. Flying Into a Cloud
05. Pony
06. Conggo Spuare
07. Coastlines
08. It Will Rain / Mais belo dos belos
09. Yamaki Sees the Barn
10. Or Blink / Pode Sorrir

 アート・リンゼイと山木秀夫(敬称略)。言うまでもなくダントツのレベルのミュージシャン、アーティストの中のアーティスト。2016年8月31日、客は2人をぐるりと囲んで畳に座って目の前で聴く。ぼくはアートの背中側で、山ちゃんを正面に見ながらその場に居合わせた観客のひとりとしてこのライブを逃さずラッキーだった。(当時、晴れ豆のプロデューサーだった)宮本くんが言う通り「『ただただ最高の夜だった』『二人だけ』はとても重要だ」。それは素晴らしいライブだった。
 
カセットとハイレゾ  
 カセットテープとハイレゾ(11.2MHz DSDと96kHzWAV)だけで出そう。CDは出さない。ぼくにミックスの依頼がきた時点で、このチームで決めた。山ちゃんを長年サポートしている石原氏(shiosaiレーベル)が、その日はサウンドシティのライブレコーディング・チームを入れていた。このデュオに限っては、ミキシングも普段やっている仕事と同じペースではできない。さっとやればもちろんそれなりにできてしまうのだが、カセットテープとDSDではオーディオスペック的には両極端のメディアである。カセットテープは音のない部分でもサーっというノイズがあるがDSDは全くノイズがない。それぞれの「いい音」になるよう最適なミックスとマスタリングにすることにした。アート・リンゼイといえば、ノイジーで美しいギターの第一人者。カセットテープでは少なく聞こえがちなリバーブの量、周波数特性も狭いので、ミックスはおとなしくまとめてもダメで、ダイナミックレンジもボリュームの大きな曲はアナログハーフインチにミックスするイメージで仕上げる。まるで80年代の手法。さらにノーマルポジションのカセットテープはデュプリケート業者さんに任せっきりではこの音質に上がらない。実際に使用するカセットテープにコピーして劣化する要素を今回はデュプリケート業者さんとの間で3回も補正した。つまりノーマルポジションのカセットテープのひずみや高域の落ちる部分を元のミックスマスターに補正をかけてある。
 
 一方、DSDでは、そのようなパッケージになった時の差分は全く考慮しなくていい。サイデラ・マスタリングで聞こえているそのままの音を届けられる。DSD(ハイレゾ)というとジャズやクラシックのようにピアニッシモまで、クリアで空気感の重視される音楽に向いていると思われがちであるが、『U Turn』アートと山ちゃんのデュオにDSDは素晴らしい!プロ用やハイエンドのオーディオシステム、高級ヘッドホンを持っている人には、アートのノイジーで美しいギターのすべてのノイズを顕微鏡で見るように味わえる。カセットテープのバージョンを仕上げてからDSD用にミキシングを全部やり直した。DSDでは、CD(44.1KHz16bit)のようなコンプレッションや過剰なEQはしていないので、自分で好きなだけボリュームを上げて聴いてほしい。
 
KORGが「Nu I(ニューワン)」の登場
 「Nu I」はKORG初のオーディオカテゴリー製品。発表するタイミングでもあったので、早速「Nu I」を11.2MHz DSDのADC/DACとして使用。ぼくの知る限り11.2MHz DSD でこのジャンルでは「U Turn」以外ないのではないだろうか。2000年あたりからソニーとフィリップスがCDより音質のいいスーパーオーディオCD(2.8MHz DSD)発売。その当時DSDレコーディングはシステムも高価でメジャーレーベルで選ばれたアーティスト、プロデューサーだけが制作できるフォーマットであった。その後、ハイレゾ(CDの44.1KHz16bitより高繊細)のダウンロード販売が始まり、DSDが録音できる機材もスペックは高くなり価格が大幅に下がり、誰でもがDSD録音ができる時代が今現在である。ところが皮肉なことにクラシックやジャズでも、スペックが高くなるほどタイトル数も、まして名盤と呼ばれるアルバムは数えるほどしかない。2.8MHz DSDのSACDには名盤が多かったが、最近のハイレゾダウンロード販売は下り坂で、逆にアナログレコードはCDの10分の1の市場とは言え増えている。カセットプレーヤーを持ってるこだわりのリスナーは少ないですが、いい音ですよ!一石を投じる意味でも11.2MHz DSDの価格を抑えてカセットと揃えることにした。スペックではなくリスナー自身が一番聴きたいフォーマットで楽しめるために。
 
山ちゃんとの出会い
 ぼくは1978年から2年間だけだが、音響ハウス(銀座の老舗録音スタジオ)でアシスタントとして働いた。山ちゃんは当時からファーストコールのミュージシャン。知らない人はいない。当時20歳のぼくは、将来レコーディング・エンジニアになるという具体的な目標はなく、新人はCMフィルムの映写や野球部、あとはスタジオのお掃除などをしていた。スタジオに出入りするミュージシャンから誘われればひょいひょいとジャズ系ライブハウスや西麻布、青山、新宿のクラブにも遊びに行くようになる。せっかく一流スタジオに入れたのに無謀にもたった2年で会社員を辞めて22歳でフリーランスと言えば聞こえはいいが、フリーターの若者!何を頼まれても断ることはなく、何でも面白いので朝まででも付き合う。ステージ周りやバーも手伝ううちに気がつくとPAと録音の両方が得意分野として仕事となっていった。清水靖晃、笹路正徳、土方隆行、山ちゃんらも所属する(全盛期を迎える以前の)ビーイングのBIRDMAN STUDIO初代チーフエンジニアもしていた。清水、山ちゃんとは80年から83年あたりは赤坂コロムビアスタジオ、Better Daysレーベルでほとんど泊まり込み(笑)という時期があった。普通はポップスでのアルバムレコーディング時間は50から80時間のところを我々は夜な夜な、下手すると4つあるスタジオのうち3つを掛け持ちしながら、アルバムで300時間とかまさにスタジオ空間と機材を楽器のように使用していた。当時のレコーディングは24トラックのアナログテープで、2台をシンクロして48トラックにしたり、ピンポンと言って8トラックの音をを2chにまとめたり、最初から楽器ひとつにマイク1本とか。とにかくミュージシャンが思いつく音は素早く音をまとめて録音するのが当時の手法。録音されたバランスがよくない場合は、もう一度録り直し。
 
アートとの出会い
 アートとは初来日の85年から始まり、今でも家族ぐるみの長い付き合い。
自分の宣伝で恐縮なのだが『COMME des GARÇONS SEIGEN ONO』が30周年版として日本コロムビア Better Daysレーベルから復刻された。ここにはアート・リンゼイが数曲、共同プロデューサーとして、そしてNYCダウンタウンのスターたち、ジョン・ゾーン、ビル・フリゼール、マーク・リボウ、ジョン・ルーリー、ピーター・シェラー、ハンク・ロバーツなど、山木秀夫もDISC2ラストの「Finale」の作曲と演奏に名を連ねている。インタビューなどで必ず聞かれる質問に「あの時代にこんなメンバーをどうやってコーディネイトしたのか?」と聞かれる。背景はこうだ。1985年、アート・リンゼイとジョン・ゾーンを最初に日本に紹介したのは近藤等則(招聘は麻田浩 TOM’S CABIN)。レック(フリクション)と山ちゃんを加えて「500STATUES」というバンドで、ぼくはLIVEのエンジニアとして東京、名古屋、大阪を回った。当時はアートもジョンも日本語はまったくできなかった。ぼくも英語ができなかった。最近また麻田さんと話してたら「そうだったけー?セイゲンずっと英語でしゃべっていると思ったけど」。日本の学校の英語教育はまったく役に立たない。アートとぼくはその時からの古い友人なのです。今では特にジョンは日本語ペラペラ、日活映画のポスター、サブカルにも日本文化研究者並みに詳しい。ぼくがアートに最初に教えた日本語は、「イイ カゼ(いい風)」(=Nice breeze)だった。青山通り沿いのカフェで「いい風」が吹いてたので。するとアートはすかさず「How do you say LEG?」 と尋ねるのでLeg=「アシ(脚)」だと教えた。すぐ目の前を通り過ぎていく女性二人組みを指して「イイ アシ」を連発。アンビシャス・ラヴァースの歌詞に似たような言い回しがあったような。ライブで時々、曲間MCで韻を踏んだような日本語フレーズがポンと出てくるのは、そういうアートの文学的応用力からくる。インテリジェントで笑えます。
 
 近ちゃんとは、トリオ・レコードで、近藤等則「空中浮遊」(プロデュースは渡辺香津美)のリミックスの仕事が回ってきて、そこからの付き合い。山ちゃん、レック、酒井泰三、富樫春生も参加するIMAのレコーディングでは、近ちゃんがビル・ラズウェルをニューヨークからプロデューサーとして迎えて六本木SEDICスタジオでレコーディング、六本木インクスティックでのセッション、近藤、坂本龍一、ネーネーズ、坂田明、その頃ビルは、日本を超えてアジアまで足を伸ばしていた。アントン・フィアーやペーター・ブロッツマンとLAST EXITとして来日したことも。同時期にニューヨークからは、ラウンジ・リザースの来日もあり、ぼくは多くのアーティストからライブレコードのプロデュースをやるようになる。ニューヨークにもよく出かけていくことになり、ショートステイなら友人宅かグラマシーパーク、ワシントンスクエア・ホテル(当時は1泊60ドルだった)、1週間以上ならサブレット、ジョン・ローリーのアパートなどに泊まりクイーンズのスタジオに通ったりした。ジム・ジャームッシュやたまにロベルト・ベニーニ、ダウンタウンでは誰も気どってない。独特の近所感覚があって、みんなダウンタウン村の友だちという感覚。そんなわけで当時、ぼくは東京に住んでいながら、ハウストン・ストリートにあったニッティング・ファクトリーあたりからニューヨークの仲間を増やしていくことになった。 
 
あの日のライブに来れなかった方にも、イリュージョンのベストシートをお届けできたと確信している。
 
オノ セイゲン (エンジニア / ミュージシャン)


 
Produced by Art Lindsay & Hideo Yamaki
Mixed and Mastered by Seigen Ono
at Saidera Mastering, DEC. 2018 to APR. 2019
mix on to KORG Nu1 (11.2MHz DSD)
Live mix: zAk
Recorded by Satoshi Nakazawa (Sound City)
at Haretara Sorani Mamemaite 2016.8.31
A & R: Tatsuji Kimura (SDM & LiveRec)
Executive Producers: Shinobu Ishihara (shiosai ZiZO) and Seigen Ono for SDM & LiveRec
Photograph : Motoki Uehara
Liner note: Tadashi Miyamoto
Special Thanks: Ryu Takahashi, Sakurako Yamaki, Keizo Maeda, Yuji Ueno, Nancy and All Haremame staff