SEIGEN
Seigen Ono

VICJ-61752
 

TRACK LIST: 

01. マレット
02. マンハッタン
03. ウォーター・フロント
04. しかるにパート1
05. MODEL - 93
06. 雲の速度
07. 5/8 RP
08. 水面上には
09. マンハッタン(ピアノソロ)
10. みなそそく
11. プライムタイム・モデル93

produced by Seigen Ono
director: Hiroshi Aono (1984)  / re-release director: Kazuhiro Otsuki (2016)
 
recorded, mixed and mastered by Seigen Ono
recorded at Victor Studio and Sound Inn (1983) mixed at Victor Studio (1983) except: M10, 11) 5.6MHz DSD Mixing at Victor 203 studio and Saidera Mastering (2016) (M10, 11)
 
M1-M9
technical assisted by Takeshi Hakamata (FLAIR MASTERINGWORKS 212st) mastered from original DAS900 "WDP-78" D/D, using "K2HD PROCESSING" up convert to K2HD192KHz24bit.WAV. playback with ProTools 11 - RME UFX / Lawry Engineering Quintessence DA-N5 - Rockruepel COMPONE amp - The Dangerous BAXEQ - 5.6MHz DSD on TASCAM DA-3000 - KORG AudioGate convert DSD to 176.4kHz 24bit WAW for "HR-CUTTING". assistant engineers - Norio Aicha, Itoh, Suzuki, Bunya, Fujishiro, Murase, Ryo Kanai (2016)
 
Art direction: Katsumi Asaba
cover photograph: Koichi Inakoshi / inner photograph:Ami Sioux
re-release design: Kayoko Ohkubo
Executive producer: Katsunori Ueda
Special Thanks: Shigeru Uchida and Koichi Inakoshi for "MANHATTAN" (video), Katsumi Asaba, Hiroshi Aono, Eisuke Sato, Hiroko Otsuka
 
 
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 すべては、ここから始まった!           佐藤英輔
 
『SEIGÉN』、ビクター音楽産業(現、JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からの1984年発売のアルバムである。
 リリース時、オノ セイゲンは25歳。レコーディング・エンジニアの道に進んで5年がたち、持ち前の耳と感性の良さで様々なミュージシャンたちから厚い信頼を受け取ってはいたものの、まだ一般的には無名のころであった。そんな青年がなぜメジャーからデビュー・アルバムを出すことが可能であったのか。ましてや、後に触れるが、それは何気に意義深いシリーズの映えある第一弾となる作品であったのだ。
 この『SEIGÉN』というアルバムを説明するには、ビクター音楽産業というレコード会社のことから話を始めたほうがいいだろう。同社は、オーディオ機器を製造していた日本ビクターからレコード部門が独立する形で1974年に設立された。そのため、日本ビクターとビクター音楽産業は親と子会社という関係にあった。
 話は飛ぶが、かつてヴィデオ・カセットという映像用のハードとソフトがあったことを覚えている人は少なくないだろう。大きく分けるとVHS(日本ビクター主導)とベータ(ソニー主導)という二つの規格がそれにはあり、約10年間の両陣営のせめぎ合いの末にベータが撤退を見た。
 さらに、電気メーカーは貪欲に他の映像ハード/ソフトの開発にも力を注いでおり、その大きな柱となったのが1980年代に入って流通するようになったヴィデオ・ディスクという商品だった。日本においては光学方式のレーザー・ディスク(LD パイオニア主導)と静電容量方式のVHD(Video High Density Discの略。日本ビクターが主導)の二つの様式を持つ商品が発売され、1980年代中期は両陣営がしのぎを削った。ちなみに、こちらはLDが生き残ったが、2000年代に入ると、現在も使われているDVDにそれは取って変わられた。
 長々とこんなことを書いたのは、この『SEIGÉN』は当初、VHDの『マンハッタン』というソフトのために作られた音楽であったからだ。当時、VHDのシェアを広げるために日本ビクターはソフトの充実も求めており、『マンハッタン』のリリースはその一環にあった。
 同作のビクター音楽産業側のディレクターは、平田国二郎(以下、敬称略)。ミュージック・マガジンの編集者を経て、ビクターに“フライング・ドッグ”という邦楽ロックのレーベルを立ち上げた1970年代日本ロック界の重要人物の一人で、彼は後にジム・ジャームッシュ監督の永瀬正敏ら日本人俳優をキャストした1989年映画「ミステリー・トレイン」に制作総指揮としてクレジットもされた。同映画で音楽を担当しているのは、オノとも親しいザ・ラウンジ・リザースのジョン・ルーリー(ジャームッシュの1986年映画「ダウン・バイ・ロウ」には役者として出演している)であり、そこにはスクリーミン・ジェイ・ホーキンスやザ・クラッシュのジョー・ストラマーといったR&Bやロック界の大物も出演している。
 ようは、VHDを普及させるための、『マンハッタン』という映像作品の企画がまずありき。同作品は企画の段階で環境音楽ならぬ“環境映像”(BGV)という位置づけがなされ、<ビデオ・インテリア>という呼称も付けられていた。そして、その音楽の作り手としてオノ セイゲンに白羽の矢が立てられたのだった。
 当時、1980年代上半期はヒップホップやサンプリングなどが入ってきた時代であった。ニューヨークではビル・ラズウェルがハービー・ハンコックの『Rockit』を制作し、ロンドンでトレヴァー・ホーンがアート・オブ・ノイズを送り出したのもが1983年。そして、東京では、オノ セイゲンがオープン・リールのテープ・レコーダーやディレイ・マシンをサンプラーのように使いこなしていた。誇張抜きに、彼はミュージシャンとエンジニアといった垣根を取り払い、スタジオ空間と録音機器をまるで楽器のように使うような作業を標榜。そして、前線にいる進歩的な音楽家たちはオノを録音パートナーとして重用していた。そんなスタンスを知って、平田がおもしろそうだと純ミュージシャンでもない新進の自分に声をかけてくれたんじゃなかったと、オノは回想する。
 日本ビクター/ビクター音楽産業の戦略的なプライオリティを持つ商品ゆえ予算は潤沢だった。マンハッタンの摩天楼群を様々な角度から映し出す映像は、1980年に講談社出版文化賞を受けるなど当時すでに高い評価を受けていた写真家である稲越功一(1941〜2009年)に依頼。その現地のロケハンにはオノ セイゲンも同行している。その後、数えきれないほどNYに行っている彼であるが、実はその際が初の同地行きであったという。
 帰国後、NYで得たイメージをふくらませたオノ セイゲンの頭のなかには様々なアイデアや指針が生まれていく。そして、準備の段階において、“環境音楽〜ミニマル・ミュージック+”という大まかな方向性は出来上がっていたようだ。映像が主役の商品ゆえ、音楽を作る上での指示のようなものはなく、オノは自由に音楽作りに向かえたという。
 本作のレコーディングは1983年9月と10月に主としてビクター・スタジオ、そしてサウンド・インで行われた。レコーディング参加者は当時オノ セイゲンがレコーディング・エンジニアとして交遊があり、音楽的な試みを一緒に共有できるミュージシャンたちだ。
 やはり目を引くのは、清水靖晃(インターナショナルな名声を持つサウンド・クリエイター/テナー・サックス奏者)や笹路正徳(現Jポップ界の重鎮プロデューサー)や渡辺モリオ(ベース)や山木秀夫(ドラムス)というマライアの面々が曲作りやレコーディングに参加していること。マライアは日本の音楽シーンにおいて本当に独創的な活動を見せた好奇心旺盛きわまりない逸脱グループで、オノは夜な夜な彼らの尽きぬ試みにつきあっていたという。最近リイシューされたマライアの1983年作『うたかたの日々』や清水靖晃の1882年作などは、現在の整備されたデジタル・レコーディング環境では発想しえないアナログ録音の極北にあるような音作りを持つアルバムで、日本を代表する変態レコーディング作品として海外にまで知れわたっている。
 また、白井良明(ギター)はムーンライダースのメンバーだが、当時オノはムーンライダースのアルバムやTV-CF音楽のレコーディングにいろいろ関わっていて、そこで実験レコーディングの遂行。そのころ、職人集団であり作家集団であるムーンライダーズは、単なるレコーディング・エンジニアというよりアヴァンギャルドな表現を成就させる存在としてオノを起用していた。
 ここで、オノ セイゲンが作曲クレジットに名前を載せているのは3曲。だが、その他の曲についても、オノは撮影ラッシュに合わせて、言わばTVCFや映画監督が作曲家に音楽を依頼するように事前に周到な楽曲のモチーフを作曲者に与えているという。
 たとえば「マンハッタン」は、映画「ベニスに死す」に使われたマーラー5番の第4楽章のストリングス・セクションに弱音器を用いような感じのもと、映像はジャズを生んだニューヨークのものであるのでその後半はビル・エヴァンス風な感覚のもとウィズ・ストリングスで行きたいと、具体的な指示を伝えている。また他の曲では、スティーヴ・ライヒ、ゲヴィン・ブライアーズ、ジョン・ケージ、ブライアン・イーノ、フィリップ・グラスといった当時興味を持っていたアーティストの影響は直截に出ていると、オノは正直に33年前の自分を振り返る。
 その一方、「MODEL-93」や「5/8RP」や「ウォーター・フロント」は、オノ セイゲンのエンジニア/音像デザイナーとしての手腕が明瞭に活かされた曲群と言える。まだシークエンス〜サンプリング系機材が充実していない時期に、オノは技術と発想でポスト・プロダクション的処理をいとも簡単に成就させていた。その発想や手法はオノの最新作『MEMORYS OF PRIMITIVE MAN』にも存分に受け継がれている。そう、オノ セイゲンは最初からオノ セイゲンだった!
 事実、ここにある表現は本当に良くできている。まったく色褪せておらず、逆に享受する世界が広がった今だからこそ、より魅力的に感じる部分も多々ある。この後、コンスタントに音楽家としてもアルバムをリリースするようになるオノであり、演奏者の個性の重なりの妙や即興性に重点をおいたり、よりメロディ性の高い表現に進んだり、より情景的なものを求めたりと、彼の作風は時期により変化もしている。だが、ここでの精緻にして明晰な音作りやスケール感はなんでも面白がることができ、度を超して根を詰めることができた年齢だからこそ作りえた逸品ではないだろうか。
 なんにせよ、ここに聞くことができる珠玉の曲群は、『マンハッタン』というVHD作品の音楽だけで終わるはずであった。だが、ここにもう一人のアルバム『SEIGÉN』リリースに向けての立役者が登場する。それは、当時ビクター音楽産業洋楽部でファンタジー・レーベルなどの編成をしていた靑野浩史(MCAビクター、ユニバーサル・ミュージックを経て、現在は靑野音楽事務所代表)。この音源を通常のアルバムとして出してみないかと、平田は靑野に打診し、靑野はその音を聞いてすぐにアルバムとしてリリースすべき質を持つと了解。だが、オノ セイゲンは無名であるし、この新しい手触りを持つ表現を受け手にプレゼンテーションするにはどうしたらいいかと思案を巡らしたという。
 そして、入社5年目であった靑野が導き出した指針は<ミュージック・インテリア>というシリーズを立ち上げ、オノ セイゲンの音を筆頭に新しいインストゥメンタルの提案を大々的にやってみようということだった。そのネーミングに関しては、VHDリリースに用いられた<ビデオ・インテリア>という呼称を応用する形でつけられた。また、アルバム・リリースに際して、オノ セイゲンと読む小野誠彦という表記では誰も正確に読めないだろうと判断し、アーティスト表記をSEIGÉN(セイジェンに発音されないようEの上にアクサン・テギュ=”é”)とすることも、靑野が発案した。
 その時点で、米国の音楽界はウィンダム・ヒルが席巻し、ジョージ・ウィンストンのアルバムが米国ジャズ・チャートで上位をキープし続けるなど、インストゥメンタルに新たな展開や需要が起きていることを、靑野は認知していた。日本でも新たなインストゥメンタル表現が席巻する時代がやってくる……。ジャズでもムード・ミュージックでもない、空間や場を整調するような生理として先鋭的な音楽が人々から欲される時代が訪れる……。ただし、ウィンダム・ヒル等の米国のニュー・エイジ・ミュージックが自然/ナチュラル志向であったのに対し、<ミュージック・インテリア>はあくまで都会という属性を通した現在進行形のインストゥルメタルを送ることを、靑野は是とした。同シリーズは1984年から1985年にかけて、リリースされることになった。
 その第一号作品である、オノ セイゲンの、『SEIGÉN』。さらには、新感覚ジャズ・ピアニストの橋本一子の、ソロ・デビュー作『ichiko』(ミキシング・コンソールを通さずにマイク〜マイク・プリアンプから直接ハーフ・インチのアナログ・レコーダーに録音するという当時のハイレゾ最先端録音がなされた)。当時オノ セイゲンと一緒にv.f.v.studioという制作会社/音楽出版社を作っていた佐久間正英(元、四人囃子、プラスティックス。後に彼はJ-ポップの売れっ子プロデューサーとなる)のオノのプロデュースによる初リーダー作『LISA』(この作品は、佐久間が亡くなった2014年に再発された)。NY在住のジャズ・ベーシストである鈴木良雄の多重録音による『モーニング・ピクチャー』と帰国後にバンドで録音した『タッチ・オブ・レイン』。それらが、<ミュージック・インテリア>のリストに入った日本人ミュージシャンたちの作品だった。
 また靑野はそれら新たな音楽観に支えられた作品群はインターナショナルな価値観に支えられるという考えのもと、<ミュージック・インテリア>のライン・アップに海外アーティストのプロダクツも加えている。人気プログレッシヴ・ロック・バンドであるジェネシスにいたスティーヴ・ハケットのアコースティック・ギター作品『ベイ・オブ・キングス』、シンセサイザー・グループの走りとなるタンジェリン・ドリームのクラウス・シュルツのシンセサイザー盤『オーデンティティー』を彼は同シリーズ用に契約。さらに、同シリーズを始めるにあたって靑野の頭のなかには、フランスの異端の作曲家であるエレック・サティ(1866〜1925年)が提唱した“家具の音楽”という考え方に対する共感があり、ジャン=ジョエル・バルビエによるサティ・ピアノ集も同シリーズ入り。そちらは、細野晴臣選曲の1枚モノ『巴里・夢のパッサカリア』という表題でリリースされた。
 かように<ミュージック・インテリア>は広い見聞と理想主義に支えられた魅力的なアルバム群が並んだが、それを導いたのは、オノ セイゲンが仲間達と好奇心の限りを通して作った鮮烈にして進歩的な音群であったのだ。
 さらに靑野は海外発売がされて然るべき音であるという考えのもと、<ミュージック・インテリア>の日本人アーティストのアルバムを海外のディストリビューターに向けていろいろと送っている。そうしたなか、一番海外の送り手から好評を受けたのはオノ セイゲン作で、英国やドイツなど数カ国で『SEIGÉN』はリリース。オノ セイゲンの次作『The Green Chinese Table』は英ヴァージンから話を持ちかけられて作ったアルバムだった(同社と契約するのは坂本龍一よりも早く、彼は日本人で初めてヴァージンと契約を交わした音楽家となる)が、それも先にインディから『SEIGÉN』が英国で出ていたことが布石になっている。オノ セイゲンというとワールド・ワイドなエンジニア/ミュージシャンという印象が強いが、それもこの1984年にビクターからリリースされた『SEIGÉN』があればこそなのである。
 書き遅れたが、1980年代中期はレコードからCDへと、音楽ソフトが移行していた時期にあたる。この『SEIGÉN』は当初アナログ・レコードとカセット・テープの2アイテムで発表され、少し遅れてCDもリリースされた。おもしろいことに、それらのレコード、カセット・テープ、CDはそれぞれ曲順と曲目が異なる。その差異は各ソフトの収録時間の違いがもたらしたものであるのだが、当時の音楽商品でそんな手間のかかることをやっていた送り手はそうはいない。その事は送り手側が『SEIGÉN』という清新な音とともに、いかに音質や編成作業にこだわってリリースを進めていたかという証左になるだろう。そして、今回、オノ セイゲン自身による新たなリミックスを経た2016年版『SEIGÉN』もまた、オリジナル時のCDの曲順とは異なっている。発掘された未発表曲も2つ加えられ、まさに本盤はブラン・ニューな『SEIGÉN』なのである。さあ、召し上がれ。
 
 

    • オノ セイゲンという、とりとめのない、どうしようもなく規格外の存在

 
 オノ セイゲンは1958年に生まれている。プリンス、マイケル・ジャクソン、マドンナ、ポール・ウェラーらと同い年となる。当然のことながら、同時代のロック他のポップ・ミュージックに親しみ、彼はギターを弾くようになった。また、高校のころにはジャズにもおおいに親しんだ。そんな彼は当初、ミュージシャン志望。だが、兵庫県から上京し、東京のプレイヤーたちの質の高さを知って路線変更。運良く名門音楽スタジオである銀座の音響ハウスにエンジニアとして入り、音作りのイロハを学ぶことになる。オノがアシスタント・エンジニアとしてクレジットされた松任谷由実の1980年作『SURF&SNOW』は、彼が同スタジオ勤務中に得た唯一のクレジットだ。
 同スタジオに3年間いて、フリーランスとして独立。たちまち才気に満ちたエンジニア/ミュージシャンとして頭角を表わすのは、アルバム『SEIGÉN』に触れた文章やリーダー作のディスコグラフィーにあるとおり。『SEIGÉN』がリリースされた1984年には彼がレコーディングを担当した坂本龍一の人気作『音楽図鑑』もリリース、その後も両者は現在まで密な関係を続けている。また、彼に日本でのライヴ・レコーディング関与してもらった海外ミュージシャンの絶賛の声を発端に、そのころからエンジニアのオノ セイゲンとしてのインターナショナルな名声はうなぎ上り。世界各都市を飛び回り逸材たちと交流するミュージシャンとしてのかたわら、デイヴィッド・シルヴィアン、マンハッタン・トランスファー、オスカー・ピーターソン、キース・ジャレット、ジョー・ジャクソン、キング・クリムゾン、ハービー・ハンコックら錚々たる海外アーティストの録音に彼は関与している。そして、1995年には自己スタジオ/制作会社のサイデラ・マスタリングを青山に設立しており、現在それは規模を大きくしている。
 1980年代初頭から30年余にわたって、まさに様々な枠をするりと超えつつ、前線にて活動。そんな彼を支えるのは、絶対的な感性と耳の良さであり、広範にして膨大な音楽の知識や蓄積や豊かな生活観であり、好奇心や判断力の強さや確かさだ。実はレコードからCDへの移行を皮切りに、SA-CD/サラウンド・サウンド、DSDレコーディング、ハイレゾ配信など新しいメディアや録音手段に日本において彼はいつも最初に触れてきており、それを正しい方向に導いている。ライト・プレイス、ライト・タイム! オノ セイゲンがいるところに、最新テクノロジーに支えられた<いいサウンド>と自由な音楽観に支えられた<いい音楽>あり、なのである。また、彼の活躍は現代の音楽が秀でた音質や音像を介してこそアピールされる事実を物語る。
 そして、ここに来て彼は原点に戻るようにライヴ・レコーディングや配信にも積極的に関与しており、昨2015年はドイツでのベルリン・フィルやポーランドでのショパン・コンクールの中継などを現地に飛んで指揮。また、2016年には彼が鋭意ライヴ録音している“生きている音楽”を<SDM&Live Rec レーベル>の名のもと高品質配信をスタートさせる。
 
 
 
 
■時系列で負う、リーダー・アルバムの解説ディスコグラフィー(7300)
 
SEIGÉN (JVC,1984)
 記念すべき、ファースト・アルバム。マライア、その他の面々とのコラヴォレーションを介し、自らが考えるサウンド・デザインを見事に成し遂げた。その先鋭的にして先駆的な内容は海外でも評判を呼び、世界6カ国でライセンス・リリースされた。ジャケット写真は稲越功一、アート・ディレクターは、浅葉克美が担当。
 
 
The Green Chinese Table (Virgin、1988)
 英国ヴァージン・レコードと直のディールを得て制作された、ミニマル・ミュージック要素とインプロヴィゼーション要素の目映い出会いを収めた第2作。同レーベル傘下に持たれた冒険性に満ちたインストゥメンタル音楽を送り出す、“ヴェンチャー”から出た一作。同レーベルはマイケル・ナイマン、ビル・ラズウェル、デイヴィッド・シルヴィアン&ホルガー・シューカイ、レスター・ボウイズ・ブラス・ファンタジーらのアルバムをリリース。全曲オノ セイゲンの曲とアレンジで固められ、うち2曲はフィリップ・グラスやポール・サイモンの弦音に関与しているジル・ジャフェ(ヴィオラ)が共同で編曲する。東京とNYでレコーディングされ、NYセッションにはアート・リンジー(ギター)、ネッド・ローゼンバーグ(バスクラ)、ハンク・ロバーツ(チェロ)ら、当時のダウンタウン派の精鋭が参加。すでに、この時点で、海外勢との協調作業が完成を見ていたことが分る。
 
 
COMME des GARÇONS VOL.1(SAIDERA,1989)
 オノ セイゲンの名を広く知らしめた人気作。<誰もまだ聴いたことがない音楽を>、<洋服がきれいに見えるような音楽を>という依頼のもと、コム デ ギャルソンのショウのために作った1987〜1989年に録音した曲を集めている。NY録音が主で、アート・リンジー(ギター)、ビル・フリゼール(ギター)、ジョン・ゾーンやジョン・ルーリー(リード)、ラウンジ・リザースを母体とするジャズ・パッセンジャースの面々らが参加したそれらの曲は、当時のNYのボーダーレス音楽シーンのドキドキと輝きを見事に切り取る。再発に際し、2つ追加曲もあり、そちらはタチアナ&ヴァリによるフランス語で歌われるラヴリーな曲。それは、密かな人気を獲得している。
 
 
COMME des GARÇONS VOL.2(SAIDERA,1989)
 コム デ ギャルソンのために書いた音楽をコンパイルした第2集。第1集がNYの冒険/実験感覚を括っていたのに対し、こちらはよりエキゾな広がりとメロディ性を抱える内容だ。そんな第2集の目玉は、3曲のリオデジャネイロ録音曲。1988年にオノ セイゲンは渡辺貞夫の『エリス』録音のため6週間もリオに滞在。そのおりにレコーディングしたもので、特にブラジルの大御所歌手のマーレーニをフィーチャーした2曲(50年代のカーナヴァルのスタイルを再現した、ブラジル人なら皆知っている曲を取り上げた)は、コム デ ギャルソンのショウでも多大な評判を呼んだ。この後、彼は毎年のようにリオ詣でをしているが、翌年にリオに行った際にはこの2曲が、あのエディット・ピアフとも親交を持った我等が大歌手を若い日本人プロデューサーが復活させたと脚光を浴び、オノはブラジルの全国紙にとりあげられたり、TVに出演したりもした。大げさに言えば、それはライ・クーダーがキューバに行ってブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブを録ったようなもの?
 
 
Nekono Topia Nekono Mania(Saidera1990)
 デビュー・アルバムが映像作品のために作った音楽がまとめられた内容であったことが示唆するように、オノ セイゲンの表現は映像との親和性が高い。そして、このアルバムはNHKの同名ドラマのために録りおろされた、言わばサウンドトラックだ。全曲オノ セイゲンの作曲/アレンジのもと、ギターとサックスの絡みをはじめとする隙間や空間によるストーリー・テリングがしたためられる。現在も名前が用いられているオノ セイゲンの個人レーベル“サイデラ”は当時、徳間ジャパンが配給。サイデラはNYの“ニッティング・ファクトリー”・レーベルをライセンスし、NY直送の冒険サウンドを紹介したこともあった。さらに本作はベルギーの好奇心旺盛レーベルであるクラムド・ディスクの“メイド・トゥ・メジャー”シリーズを通して、広く欧州で紹介された。NY、ミラノ、東京でレコーディング。
 
 
forty days and forty nights (Kitty,1991)
 映画『あいつ』(監督は、『Nekono Topia Nekono Mania』と同様に木村淳)のサウンドラック。エルヴィス・コステロやトム・ウェイツのサポートでも知られる変調ギター大家のマーク・リーボウのアコースティック・ギターによるソロ演奏曲(クラシカルなとても繊細な演奏で、彼のその演奏は一部で驚きを呼んだ)を除いては、すべてオノ セイゲンの波のような“響く”各種ギター演奏を核に置く楽曲を収める。三宅純、キムドクス、徳武“Dr.K”弘文、ムーンライダースの岡田徹らがレコーディングに参加している。
 
 
Bar del Mattatoio (Sadera,1994)
 ライナー・ノーツを、なんとブラジル現代ポップの巨匠にしていまやザ・ビートルズに比肩するような名声を獲得しているカエターノ・ヴェローゾが執筆した一作(その英訳は、アート・リンジーが担当)。1988年から1994年にかけて、NY、リオ、サンパウロ、ミラノ、パリ、東京でレコーディングされたものが収められている。当然のことながら、参加ミュージシャンの数も多く、それを追うだけでもため息がでてしまうアルバムだ。ソースは多岐に渡っているが、メロディ性やペーソスに富み、より具体的な情景を喚起するような楽曲が並んでいるのが、このアルバムの要点。そして、それこそはこの時期以降のオノ セイゲン表現に顕著に出て来たテイストだろう。見渡す世界の広さはそのままに、ポップ・ミュージックとしての剛性感を強めたアルバムとも指摘できるかもしれない。新たなオノ セイゲンの音楽世界の幕開けを伝えるアルバムだ。
 
 
Seigen OnoEnsemble MOTREUX 93/94 (Saidera,1994)
 オリジナル時、『Bar del Mattatoio』と同時リリースされたアルバムで、アルバム表題にあるように、1993年と1994年にスイスの著名音楽フェスであるモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに連続して出演した際の演奏がまとめられている。1993年はピーター・シェラー(キーボード)やボビー・プリヴィット(ドラム)らをはじめとする、管楽器や弦楽器奏者を3人ずつ含む12人編成。1994年はダグラス・バウン(ドラム)らを含む13人編成で、ともに多国籍なミュージシャンを集めている。どちらにも、アコーディオン奏者のトニーニョ・フェラグッチが参加。本作で英文ライナーノーツを書いているのは、モントルー・ジャズ・フェスを仕切るプロデューサー/ディレクターであるクロード・ノブス。ノブスは1991年のマイルス・デイビスのモントルーでのハイビジョン映像の音のミックスを依頼したことを発端にオノ セイゲン表現の大ファンになり、『Bar del Mattatoio』のデモ・ミックスを気に入って、自からのフェス出演を熱心に依頼。オノ セイゲンが自分はバンドを持っていないと伝えると、ホテルもリハーサル・ルームも用意するので仲間とともにモントルーに来ればよい!と言ってきたことで、2年連続の同フェス出演とライブ・レコーディングが実現している。内容は、『Bar del Mattatoio』で獲得した世界を開放的に開いていると説明できるか。
 
 
La Movida (Saidera,1997)
 スタジオ・レコーディングの3枚組作品。詩的かつ静謐なディスク-Aは1996年ミュージカル『DORA 百万回生きたねこ』(フランス人のフィリップ・デゥクフレが演出)のために書いた曲を再録音したものを中心に、サントリーのTV-CF用に書いた曲なども収録している。沢田研二や山瀬まみ他が歌うオリジナル・キャストの『DORA 百万回生きたねこ』サウンドトラックもリリースされたが、こちらはインストゥメンタルで再演奏されている。一方、ディスク-Bは1995年10月のイタリアのバーリでのエンリオ・モリコーネ主催タイム・ゾーンズ・フェスティバルでのウィズ・ストリングスでのコンサートを収録。さらに、1995年7月にフィンランドで持たれた“ポリ・ジャズ・フェスティヴァル”録音曲や、1992年11月サンパウロの図書館で持たれた詩人の吉松剛造のイヴェントで共演した際のフリー・インプロヴィゼーション曲も収録する。そして、ディスク-Cは1997年NHKドラマ『熱の島で〜ヒートアイランド東京』のために書いた曲をまとめたもの。風情をたたえたアーティスティックな作風が耳を誘う。また、1曲ドイツのライプツィヒの“インプロヴィゼーションと実験音楽のフェスティヴァル”に1996年11月に出演した際の演奏も収める。映像音楽に、海外でのライヴ・パフォーマンスに、アクティヴに大車輪していた時期のオノ セイゲン表現の集大成作だ。
 
WHO IS SHE? ME? (Saidera,1999年)
 遠い甘美な記憶をゆっくりとめくっていくような、オノ セイゲンのギターやチャランゴ演奏音が中心となったアルバム。ヴィニシウス・カントゥアリア(ギター)、マルコ・ボスコ(打楽器)、五十嵐一生(トランペット)らが参加。それは、どこか“現代都市に根ざしたフォークロア”という所感も受けるようか。フジテレビの1999年ドラマ「砂の上の恋人たち」のために作られた曲を中心に、過去に作った劇伴曲も収録した。
 
 
SD-2000 BOX Sidera Pradiso SD-2000 20 CD BOX(Saidera,200)
 オノ セイゲンは1997年から2000年にかけて、LPサイズの共通の袋にCDと印刷物を入れた、機動性の高い簡素パッケージの商品を不定期に(でも、ならせば隔月ぐらいで出されたのではないか)リリースしていたことがある。その内訳は、展覧会や舞台やTV-CF用に提供した曲/演奏であったり、『Seigen Ono Ensemble at the Blue Note Tokyo』と同ソースながら曲が重複しないものであったり、『La Movida』に部分収録されたフィンランドでのポリ・ジャズ・フェスティヴァルの完全版であったり、屋久島でのフィールド・レコーディング音であったり、オノ セイゲンの考える和モノ・サウンドであったりと、多種多様。それら型にはまらない、表現発表の自由を謳歌したブツはSD−2000という盤台を与えられ、<SD-2000番台シリーズ>として愛好者を生んだ。そして、これはそれらSD-2000番台の20作品をボックスにまとめたもの。50頁ものブックレットもついた本作はオノ セイゲンの解き放たれ具合を伝える、“裏”ベスト・コレクションの趣もあり。CD20枚が敷き詰められたボックスのパッケージは日系二世ブラジル人アーティストであるである大岩オスカール(現在は、NYを拠点とする)が担当。彼の作品はどれも大きなのばかりで、これは一番い小さな作品だという。現在これを手にすると、本当によくぞ作った! その感想につきる。
 
 
Maria and Maria (Saidera,2001)
 オノイセイゲン作品中、もっとも甘美で、慈しみを持つアルバムという評価も得る人気作だ。2000年の8月から9月にかけてNYでレコーディングされたアルバムで、ジョン・ゾーン(アルト・サックス)、マーク・リーボウやホメロ・ルバンボ(ギター)、ピーター・シェラー(キーボード)、ジョーイ・バロン(ドラム)ら同地のボーダーレス系逸材が参加。彼らを見事に掌握し、自らの世界を作る手腕は高みに達している。秀でたメロディ/曲設定と、秀でた高感度プレイヤーの幸福な出会いがここにはある。
 
 
Seigen Ono Ensemble at the Blue Note Tokyo (Saidera,2001)
 90年代はヨーロッパでツアーを重ねた、オノの日本でのバンド・デビュー・ライヴの実況作品。2000年3月12日、南青山・ブルーノート東京で行われた公演の模様を伝える。三宅純(トランペット)、村田陽一(トロンボーン)やターンテーブル奏者を含む日本人奏者8人が集ったアンサンブルがオノ セイゲンのディレクションのもと百花繚乱する。ナレーションを女優の江波杏子が担う曲もあり。
 
 
I Probably Will Not Remember You (Saidera,2002)
 竹内直(バス・クラリネット)、オノ セイゲン(サンプラー、キーボード)、五十嵐一生(トランペット、キーボード)。そのたった3人で作り上げる、響きと空間と蠢きに満ちたサウンド・タペストリー。作曲はもちろん、すべてオノ セイゲンによる。ここに来て、オノはまた新しい表現語法を獲得していると言いたくなる。ラジオ・ドラマの書き下ろし曲で、NHKスタジオで3時間ほどで録られている。
 
 
So Peaceful, Simple And Strong  (Saidera,2002)
 前作で提示した、流動性と静謐さに満ちた回路をもう少し大きな編成で具現したアルバムだ。竹内直(テナー・サックス)、五十嵐一生(トランペット)、緑川英徳(アルト・サックス)、おくせしんじ(能管)、フェビアン・レザ・パネ(ピアノ)、山口トモ(パーカッション)、佐藤慎一(コントラバス)が演奏。彼らのソロも表現には効果的に組み込まれ、その様相は研ぎすまされた環境ジャズという説明もできるだろうか。NHKテレビのドラマのために録りおろされ、同スタジオで2日間で収録された。
 
 
Seigen Ono Septet 2003 Live  (Saidera,2003)
 2003年1月26日、ブルーノート東京で持たれたセイゲンオノ・セプテットの実況盤。オノ セイゲン(エレクトリック・ギター)、緑川英徳(アルト・サックス)、宮野弘記(アコースティック・ギター)、フェビアン・レザ・パネ(ピアノ)、石川智(ドラム)、佐藤慎一(コントラバス)、落合徹也(エレクトリック・ヴァイオリン)が参画、3年前の同所のライヴ作と構成員はまったく異なる。前ライヴ盤と比すなら、こちらはずっと柔和かつ静謐で、アブストラクトとも言えるか。一部、ブラジル味を巧みに介する女性シンガーのTOYONOが加わる。当日の模様は、ピーター・バラカンがホストのWOWOW洋楽番組で日本人として初めて紹介されたそう。
 
 
Dragonfish Live Quintet (Saidera, 2008)
 もともとはSD-2000シリーズの5作目(SD-2005)としてリリースされた音を、SA-CDハイブリッドの正規商品としてサラウンドのリミックスを施しリリースしたもの。1998年9月7日と10日に青山スパイラル・ビルの1階吹き抜けのスペースである、スパイラル・ガーデンで行った実演の実況盤だ。オノ セイゲンは同5日までスペインに滞在、このショウはオノが用意した簡単な譜面だけで、ぶっつけ本番なノリで持たれた。五十嵐一生(トランペット)、柚楽弥衣(スキャット・ヴォーカル)、渋谷慶一朗(キーボード)、マルコ・ボスコと石川智(パーカッション。一日ずつ出演)による、濡れていて熟れている“舞う”表現。奏者たちは円形に向かい合うように位置し、その周りを観客が取り囲むという場内設定がなされたなかでの、情緒が沸き上がるようなパフォーマンスの様を収める。そして、オノ セイゲンの演奏(ギターとチャランゴ)がここまで大きく入っている、オノのリーダー・アルバムも珍しいのではないか。
 
Olive Tree for Peace (Saidera,2009)
 肉声を巧みに用いたラヴリーな曲、琴を用いた曲、ピアノや独奏曲、ストリングスや弦音が効いた曲、さらには幽玄ジャズと言えるものまで、様々な表情を持つ楽曲群が連鎖する。結果、遊び心にも富んだ、豊かな生活感覚を具現するような一作となった。数曲は前年(2008年)のモントルー・ジャズ・フェスティヴァル出演時にワールド・プレミアとして演奏された曲である。井上嗣也のアート・デヴィレクションによる18葉のシートがブックレット代わりに封入されていて、気分によってCDの表紙を変えることも出来るジャケット体裁を持つ。
 
 
Memories of Primitive Man (Sony,2015)
 アメリカ人コントラバス奏者であるパール・アレキサンダーとオノ セイゲンの双頭リーダー作。オノがアレキサンダーのコントラバスの演奏を聞き、コントラバス用の曲を書きためていたのがその発端。当初コントラバス・アンサンブルのCDとして商品化することは考えていなかったが、2015年初頭に渋谷パルコで行われた下田昌克×谷川俊太郎×藤代冥砂「大恐竜人間博」のためにブラッシュ・アップされると、オノは本作におけるコントラバスの再生音に絶対の自信を得て、久々にメジャーからCD発売することとなった。パール・アレキサンダーは9歳からコントラバスを弾き始め、ミシガン大学で学び、クラシックから即興演奏まで自在に関わってきている名手。2009年からは日本に居住し、オノ セイゲンやジム・オルーク(ギター)との共演をはじめ、様々な音楽ジャンルの担い手と絡んでいる。本作はアレキサンダーの様々なコントラバス演奏をオノが録音し、それを自在にポスト・プロダクションすることで完成。また、部分的にかつてのNY勢との録音物も用いられ、その中には今年(2016年)3月に亡くなったブラジル人パーカッション奏者であるナナ・ヴァスコンスェロスの演奏もある。「ええ!!! 2000年以降のアメリカ映画のサウンドトラックのような趣き。風の音と相性がいいアルバムだよ、これ。より自然体になってきたんだなあ」とは、坂本龍一がこのアルバムに寄せたコメントだ。2人は2013年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルにも一緒に出演している。
 


NO.   Title Artist Arthor 作詞/作曲 JASRAC作品コード
1   マレット Seigen Ono Seigen Ono & 渡辺モリオ & 山木秀夫 099-7991-3
2   マンハッタン Seigen Ono 笹路 正徳 099-7992-1
3   ウォーター・フロント Seigen Ono Seigen Ono  
4   しかるにパート1 Seigen Ono Seigen Ono & 清水靖晃 099-8005-9
5   MODEL - 93 Seigen Ono Seigen Ono & 中西俊博 099-7993-0
6   雲の速度 Seigen Ono Seigen Ono & 清水靖晃 099-8086-5
7   5/8 RP Seigen Ono Seigen Ono & 笹路正徳 099-8018-1
8   水面上には Seigen Ono 中西俊博 099-8010-5
9   マンハッタン(ピアノソロ) Seigen Ono 笹路 正徳 099-7992-1
10   みなそそく Seigen Ono Seigen Ono & 清水靖晃 219-1297-1
11   プライムタイム・モデル93 Seigen Ono  Seigen Ono 099-7993-0